自分の仕事をつくる①

f:id:bboytaka382:20200324091838j:image

考え方

・目の前の机も、その上のコップも、全て誰かが作ったものだ。私たちは、数えきれない他人の「仕事」に囲まれて生きている。それらの仕事は私たちになにを与え、伝えているのか。様々な仕事が「こんなものでいいか」という、人を軽くあつかったメッセージを体現している一方で、丁寧に時間と心をかけられた仕事もある。こうゆう人達は、けして「こんなもんで」という力の出し惜しみはしない。このような仕事に触れる時、私たちは嬉しそうな表情をする。なぜ嬉しいのだろう。人間は「あなたは大切な存在で、生きている価値がある」というメッセージを、常に探し求めている生き物だと思う。「こんなものでいいか」と思いながら作られたものは、それを手にする人の存在を否定する。

↑(陶器でも、工場で大量生産されたものと職人がひとつづつ作っているものは、見た目も触れても明らかに全然違う。これはデザイン性だけの問題ではなく、作り手の想いが陶器を通して伝わっているからかもしれない。その想いを受けとった相手はきっと、豊かな気持ちでいられるのだろう。僕がこれからお客さんを通じてものを作るとき、一切妥協はしてはいけない。自分の仕事が相手にも必ず伝わるからだ。上の文面のように手にした人の存在を否定することになる。)

・この世界は一人一人の小さな「仕事」の累積なのだから、世界が変わる方法はどこか余所にではなく、じつは一人一人の手元にある。多くの人が「自分」を疎外する社会が出来上がるわけだが、同じ構造で逆の成果を生み出すこともできる。

・コミュニケーションっていうのは喋ることじゃない。たとえば他の人よりも僕が喋った方が、たどたどしい英語でもやっぱり「伝わる」。なんといっても調子だとかノリ、テンポやタイミング、そういうものを伝えるのが大事なんだ。デザインというのは、単に視覚的なものではない。

・以前、あるピアノ奏者に「音楽家にとって、もっとも重要な能力とは何か?」という質問をしたところ、迷わず「聴く能力です」という答えが返ってきた。自分が出している音を聞き取る力がない限り、その先への進歩はない。イメージと現実のギャップが感じられるからこそ悩めるし、成長することも出来るが、もし「自分は十分にいい音が出せている」と感じたら、そこがその人の音楽の上限となる。だから、常に聴く能力を磨きつづけることが必要であり、歳を重ねることによる進化もあるのだ、と話してくれた。

↑(僕にとっては見る能力かな。いや観察する能力かな。これからデザインやモノを作っていく中で、自分から生み出したものに対して、一歩引いて客観的に観察してみる。これで良しとするのか、別の目でものを捉えてみて考えてみる。自分の能力を信じ切るのではなく、常に先陣をいっているデザイナーの作品からヒントを頂戴する。世の中の世界観を知るためにも。)

・たとえばセザンヌでも誰でも長いことかかって絵を描いているでしょ。下手な絵描きっていうのはすぐ絵ってできちゃうんだよ。あんなには描いていられないんですよ。ということは、あの人たちが見ているものを僕たちは見ていないわけ、あの人たちが見えているものは違うんですよ。だからあんだけ一生懸命描いているんですよね。自分に本当に見えているものを本当に出そうと思って。

・ワークショップは「観察」から始めます。たとえば、コーヒーにミルクをいれる行為について、二人一組で互いに観察し、発見したことを報告しあう。容器をどう開いて、どう注ぎ、注ぎ終えたものをどこに置くか。とても短くてシンプルな行為だから、下手をすると何も発見されない場合もある。それぞれ気づいた点を集めていくと、単純な行為でも様々なことが見えてくる。「開けた・注いだ・置いた」だけでは観察が足りないことが、なんとなくわかってくる。わずかな数秒の行為について、最後にはホワイトボード一枚分の観察記録が出来上がる。デザインを始めるには、こうしたオブザベーションを通じて、問題点を発見し、デザインのヒントを探さなければならない。