走って、悩んで、見つけたこと②

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・僕は他人にはなれないし、、他人も僕にはなれないということ。人の経験は人の経験でしかありません。だから無理をせず、自分の能力をちゃんと伸ばしていくことを意識したい。結局、アドバイスをもらったり、本を読んだり、色々調べてみても、自分でやってみて感じなければ意味がない。僕もアドバイスを求められることがありますが、何を言っても結局自らに落とし込んでやらなければ同じじゃないでしょうか。

・練習して伸びない時期というのは、やはり誰しもが不安になります。ただ、初めはすごく気にして、気にして、気にしすぎて疲れてしまい、もう無理だ、と思った先に次のステップがあると思っています。1回の練習に囚われるのではなく、そのぶん他の練習で強くあればいいということ、1カ月の練習の中で疲れたときは、疲れたなりにがんばれたことに価値があるのだということにも気づきました。

・結局、レースは練習したことが全て出てくるのだから、意識を高く持って練習していれば、不安は和らぐし、気持ちの余裕も生まれてくるということに気づいたんです。僕は限りなく100%に近い努力をするだけ。不安は自分の中から生まれた不確かな偶像で、実体のないものを意識するぐらいであれば、本当に今やるべきことに集中をした方がいいという考えに落ち着きました。

・辛いときこそ前を見るのではなく、下を見て一歩一歩進んでいけば、そんなに苦しむことはないと思います。不安や焦りは他と比べたり、他人からの評価について反応してしまうからであって、自分の足元だけを見ていれば、その瞬間瞬間に価値があるということがわかるはずです。結局、今日の自分のベストを尽くすしかないんです。じゃあ今の自分にできることはなんだろうかとポジティブに考える。そうなれば不安はだいぶコントロールできるようになります。

・団体、モノ、人・・・日本人は特に何かに依存する傾向が強いと思います。もっとそれぞれが独立していていいと思うんです。もちろん僕が全く依存をしていないかと言ったら嘘になります。でも、依存をする部分があっても、全面的な依存はしないし、誰かに媚を売る必要もない。依存をするというのは、その方が楽だからではないでしょうか。結局、そういう人はベクトルが外に向いているんです。ダメだったときに誰かのせいにして、保険をかけたいのかもしれません。でもそれでは何も残りません。僕はなるべく自分にベクトルを向けるためにも、自分のことは自分で決めているのです。

・もちろん自分で決断した選択が正しくなかったこともあります。けれども後悔をするときはだいたいは人の意見に流されたときで、自分で決めたときは後悔は残らない。むしろ今回ダメだったらから、次はこうすればいいじゃないかとポジティブに考えられるものなんです。

・知らないことから目を背けていたら世界を感じることはできないし、世界との距離は開くばかりです。向き合うことの怖さ、知ってしまうことへの怖さもありますが、強くなるためには目を背けるべきではない。むしろ僕にとって、できないことはないんだと感じられたことは大きなプラスでした。

・走る気分にならないとき、練習をやらない理由を探しますよね。だけどそれは誰もができることです。一番難しいのは自分が走ることについて、やるべき理由を探して、それに向かってちゃんと集中するということ。心から思うのは、やらない理由はないということ。まず最初に自分に言い聞かせるべきは、やらなきゃいけないんだ、ということ。

・みんなもっとシンプルに考えるべきではないでしょうか。できた、できなかった、やった、やらなかったで判断をすればいいのに、言い訳を探してしまう。その言い訳に価値はあるのでしょうか。当たり前のことですが、結果というのは結局今の積み重ねでしかありません。ときには一生懸命やっても結果が出ないこともありまう。だからといってやらなかったら、絶対にできないままです。だからやっていくしかないんです。

・僕は周りからみて格好悪い言い訳は絶対にしたくない。プロはプロの価値を下げるようなことをしてはいけないということです。

・いかなることがあっても自分が驚かないように心の準備をすること、不動心でこなすことが大切だということ。悪い日もあれば、いい日もあります。それに一喜一憂せずに動かない心を持って、そのときのベストを尽くす。特別なことは何もしなくて、目標を達成するためにいかに無駄なことをしないか、全ての決断は最終的な目標のためにある。