幸福に死ぬための哲学②

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考え方

・戦争に反対すると、口で言うのは簡単だが。起こっている戦争に加担するのは簡単だ。難しいのは、そもそも戦争とは何なのか、なぜ人は戦争するのかということについて、どこまでも深く見抜いて行くことだ。考えることだ。考えるほどに、いろんなことが見えてきて、君は考えるのをやめられなくなるはずだ。それで、いいんだ。それは、平和は善で、戦争は悪だと思い込んでいるよりも、はるかに賢いことなんだ。

・たいていの人は、生きるためにと思って仕事をします。そして、仕事をしているうちに、仕事をするために生きているのだという転倒が起こる。これが言うところの「仕事に燃える」と言う状態ではないかと私は睨むのですが、しかし、仕事は「しょせん」仕事です。会社が潰れたり、病気になったりしたら、失われてしまうようなものです。でも、その時でも、いやその時こそ、「私は何のために生きているのか」と言う問いが、解かれずに残っていたことが明らかになるはずですね。さて、人は、何のために生きているのでしょうか。

・情報をたくさんもっていると、賢くなったかのようにも、人は思うのらしい。しかし、そんなことは大間違いである。他人や世間のどーでもいい情報、いくらたくさん所有したところで、なんで賢くなることがある。それを自ら考えて自らの知識にできるのでなければ、しょせんは情報である。自ら考える、たとえ外的情報のひとつもなくとも、自らで考えられるのでなければ、人が知識を自身の血肉として賢くなるということは、あり得ない。

・このコンピューター社会の基本理念であるところの「便利」という思想、これが諸悪の元と言えます。「便利」の別名は、「早い」ということでしょう。手間が省ける、時間が省ける、目的地に早く着く、つまり時間が短縮できるということが、現代人にとっての価値なのです。それなら、人はいったい何のために、時間を短縮したいのか。時間というのは、言うまでもなく、自分の人生の時間です。現在の時間を節約することで、将来にそれが貯蓄した将来の時間のそこに、何か幸福といったものを期待しているみたいです。しかし「将来」なんてものは、よく考えると、どこにも存在していない。現在幸福である以外に、幸福であることはあり得ない。

・言葉は道具なんかではない。言葉は、自分そのものなのだ。だからこそ、言葉は大事にしなければならないのだ。言葉を大事にするといことが、自分を大事にするということなのだ。自分の語る一言一句が、自分の人格を、自分の人生を、確実に創っているのだと、自覚しながら語ることだ。そのようにして、生きることだ。言葉には、万物を創造する力がある。言葉は魔法の杖なのだ。人は、魔法の杖を使って、どんな人生を創ることもできる。それは、その杖を持つ人の、この自分自身の、心の構えひとつなのだ。

・言葉は人間を支配する力をもつから、それを言うその人を、必ずそんなふうにしてしまうものなのだ。面白いから、そう思って、まわりの人を観察してごらん。正しい言葉を話す人は正しい人だし、くだらない言葉を話す人はくだらない人だ。その人が話すその言葉によって、君はその人を判断するだろう。その人の話す言葉が、その人をまぎれもなく示していると気がつくだろう。世界を創った言葉は人間を創るということを、よく自覚して生きることだ。つまらない言葉ばかり話していれば、君は必ずつまらない人間になるだろう。

・この世で生きるとうことは、体をもって生きるということである。体は自然だから、変化する、壊れる、やがてなくなる。健康とは、そういう自然の事柄に寄り添うというか、いやむしろ離れて見るというか、流れに逆らわず舵を取るような構えのことだろう。体は人生のお荷物だというのは逆、体は人生を渡るための舟なのである。病気のひとつやふたつあるのもだから当たり前、むしろ病気のひとつも知らないと、人の心はヒダがなくなる。自分の若年を顧みて、今はそんなふうに思う。

・人が死を認識できるのは、他人の死を見る時だけです。自分が死んだ時は、自分はもういないのだから、自分が自分の死を知ることはできない。自分の死は、「ない」のです。多くの人が死をどうイメージしているかというと、「どうやら自分が無くなる」というものです。でも、自分がないことをどうやってイメージするのか、「無」というものを考えられたら、無でなくなってしまうわけです。ないものは考えられない、死は、ないのです。

・考えることは、悩むことではない。世の人、決定的に、ここを間違えている。人が悩むのは、きちんと考えていないからにほかならず、きちんと考えることができるなら、人が悩むということなど、じつはあり得ないのである。なぜなら、悩むよりも先に、悩まれている事柄の「何であるか」、が考えられていなければならないのである。「わからないこと」を悩むことはできない。「わからないこと」は考えられるべきである。ところで、「人生いかに生くべきか」と悩んでいるあなた、あなたは人生の何をわかっていると思って悩んでいるのですか。

・私は考えるのです。私たちは、ひとりひとりは、時代や社会のことなど気にする必要はない。人は、自分のことだけを思って生きればいい。ひどい時代、悪い社会の中だからこそ、自分だけは、私だけでも、善き生きよう。善い人間として、善い人生を全うしようと、それだけを心がけて生きればいい。世界規模の大破綻が、いつ来るかわかりません。それでも、私ひとりだけでも、幸福な気持ちでいようではありませんか。ひとりひとりがそのことの意味に気がつくなら、ひょっとしたら、破綻は避けられるかもしれません。