いま、地方で生きるということ

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考え方

・今の世の中の仕事は昔ほど土地に根ざしたものではなくなってきているから、仕事に運ばれるように住む場所も移していく人が多くなっている。

・働き口がなくとも、仕事は自分でつくっていけばいい。

・自分で考えて判断して。リスクを取りながら動いて、その結果からまた考えていく。成長とは、自分が安心していられる領域が広がること。広げるには、馴染みのある普段の快適な領域から外に出てみて冒険が必要。そこには未知で、容易ではない、あらかじめ保証されていない世界が広がっている。

・本当に力になりたいのなら遠くから「良さそう」な投げやりな言葉を言うではなくて、まず一度近づいてみないことには、話もかかわりも始まらないだろう。

・勇気は「出そう!」と言われて出てくるものじゃない。実際に出した人の姿を見た自分の内側から、湧き上ってくるもの。

・「主体的(自分の意思、判断によって)にチャレンジすること」

・「いい方向にいくだろうな」と思い込むこと

・「知らない場所に行っても結構自分なりに動けるのは、たぶん自信なんだと思う」自信がないと、相手や状況に合わせることで自分の居場所を確保しようとする。

・自分でつくり出して、遊んで、食糧もつくって。しかも技術は高くて、人に喜んでもらえる。どこにも依存していない。本当に自由な感じがして。どこか違う国にいっても、この人はなにかできるだろうな。

・なにかに依存しているかぎり当然そこでリスクが上がる。

・「いつここを去っても大丈夫」な状態にならなきゃいけないんだと。本当にポータブルに。地球の裏側に行っても成り立つような仕事やスキルを持ちえていないと自由になれないじゃないか。

・商売にせよ遊びにせよ、何事においても基本はやっぱり、一人でできる、ということ。「自立」というか個々のパワーアップがないと、最終的には単なる村社会のようになってしまう。とりあえず集っているだけっていうか。それぞれが「どこに行っても大丈夫」なぐらい自立していて、それでなにか一緒にした時、本当に面白いことができるんじゃないか。そこを目指したい。

・もう本当に閉じた世界というか、日本にはきっと「そこでしか通用しないルール」がいっぱいある。

・「僕らは幸せになるために生きているんだろうか?」「幸せになりたい」というアイデアを手放しさえすれば、どこでも十分に生きていけるんじゃないか。むしろそのアイデアによって、がんじがらめに不自由になっているんじゃないか。

・彼らはどんな土地でも、その場所でその時できる最高のことをしたいと考えている。

地域活性化と言うけど、それは地元の人たちが自分のまちにいかに誇りを持つかということじゃないか。自分もなにかしてかかわりたいという感じが大切ではないか。これは会社でも言えることなのではないか。

・自分が好きな場所・コト・人を、身近にどのくらい持っているか。どれくらいそれに気づいているか。が、何よりも大切な気がする。

・今の社会はすごく均質化(性質、状態が同じ)している。東北でも九州でも、同じ材料を使って家が建っていたり、国道沿いにどこも同じような店が並んでいたり。場所が均質化している。なにもなくてつまらないんじゃなくて、同じようになろうとしていたことがつまらなかった。

・まちづくりに対する彼のスタンスは、まず「当事者になる」こと。

・多くの人から見ればちっぽけなことでも、本人にはすごく大事なもの。そんな小さなものを大切にして認め合える公共性(共有すること)が必要じゃないかな。

・豊かさって、それぞれの体験や想いを分かち合える、こんな時間があることを指すんじゃないかな。少なくともこれはお金では買えない。

・僕らは大人になると大抵は、社会的に条件付けられた心の動きにほぼすべて乗っかりながらいろんなことを考え、判断している。が、そこから少し外れて客観的に観察する。観ていると、社会的な条件付けによる心の動きがすべてではないことがわかる。一番価値のあるものではないということがわかる。

・「関係の断食」日本人はいつも人との関係の中で動いたり考えたりしているわけだけど、そういう関係性がない状態の自分はどういう人間なのか、自然の中に入るのを積極的につくってみる。

・お金が要るという重力。生きていくために、お金が要る度合いは、都市に近づくほど強く、遠ざかるほど弱い。生存に欠かせない水、食料、衛生環境などの環境資源を都市はシステムとして構築・提供していて、それらへのアクセスにある程度のお金がかかる。しかし遠ざかればその重力も弱くなる。「生活のためには働かなければいけない」という言葉をあたり前のように口にする人がやや多すぎる気がするけど、もしそれが「お金が要る」というだけの話なら、とりあえず該当する重力が強い場所は避けることができる。

 ・ウルトラライトハイキングの考え方とか方法論って、仕事や生活のなかのいろんなものに当てはまるのではないか。山登りは自分が背負えるものしか持って歩けない。これってすごくシンプルな真実っていうか、超お金持ちだからって、ベンツ担いで持っていくわけにはいかない。だから自分が持って歩けるものしか持っていけない。

・お金を持っていることが、力を持っていることになる世の中で、多くの人がお金を求めている。そのお金には際限りなく増える性質があって、求めにも際限りがない。

・フィジカル(身体的)なことに意識が移ってきて。メンタルがどうのこうの言うよりフィジカルを触っていったほうがいいかなって思っていて、結構放置みたいな。

・自分の維持費を下げてみる。生活コストを減らすことで、より多くの自由な時間を持てるから、仕事も減らせるし、楽しいし、料理や勉強にもっと時間を使えるという。良いスパイラルを生むには「自分のコストを下げないとダメだ」と思ったのと、遂行品(物事をなしとげること)を最小限にして軽量化することで、山歩きが楽しいものに変わってゆくウルトラライトの方法論は、パラレルに刺激し合っている。

・自分もたまにイライラするときがあるんです。怒ったり、妻とも喧嘩になったり。結構強く意見を言うときもあるんだけど、そういうのは全部、自分を守ろうとしているんですよね。相手に言われることで自分のなにかを崩されるとか、怯えとか。で、苛立ったり、怒ったりするときは「これは意見の違いではなく、自分の恐怖心からきているんだ」と踏まえると、また別のリアクションができる。相手に向かうベクトルを、一度自分に戻す。

・「ちゃんとした家に住まないとダメだ」とか、「立派な仕事をして、それなりの収入を得ないと幸せな家庭を築けない」とか思って生きていると、仕事がなくなった瞬間にものすごい恐怖が押し寄せてくると思うんです。でも、もともとの幸せ像を、そんなにお金のかからないものとして捉えていたら。仕事がばりばり安定していなくても、必要最低限の収入がはっきりと数字でわかっていて、それを得られるものにしておくことができれば、恐怖を取除くこともできる。方法論として。

・5年後を自分を考えるより、1年後とか1ヶ月後ぐらいの自分に向かって、今やることをやっていくほうが精度が高い。今5年後を扱わなくてもいいやろうと。

・「お金で買えないもの」が、アウトドアの時間の中にいっぱい出てきて。

・お金で買えないものがあるように、お金で解決できることもいっぱいあって。こういう保険に入りますとか、いっぱい貯金しますとか、こういう家具こういう車、子どもたちはこういう学校に入れたいとか。そういうのを全部、欲も恐怖もお金で解決していく構造があると思うんです。サービスもたくさんある。

けど「高すぎる」というのが僕がすごく感じることで「幸せの見積もり」というか。住宅メーカーのコマーシャルが流れているのを見て「でもこれめっちゃお金かかるよな」と思った。もしこれが「幸せ」と刷り込まれたら、そしてこれを「達成したい」と思ったら何千万といる。

これを実現するとなったら、やっぱりすごく収入の高い暮らしを目指さないと難しい。なおかつあれを幸せだと思い込んでしまうと、僕らの今の暮らしが、それよりも差し引き劣っていると思うんです。比べると常にマイナス印象しか受けられない。現状に満足しにくい。売りつけられている幸せが高すぎる。

 

言葉の使い方

・八方美人な返答でお茶を濁して別れた。

・旅に出てはみたものの財布には900円ぐらいしか入っていないような、そんな心細さでいっぱいだ。

 

知らない言葉

・過疎地・・人工の減少により、その地域の活力が低下している地域

モノカルチャー・・一種の作物だけを栽培する農業

・フラストレーション・・欲求がなんらかの障害によって阻止されている状態。欲求不満。

・劣等感・・自分が他より劣っているという感情

 

やることリスト

・自分の月の最低限の出費をあげてみる

(これにともない自分の働き方を考えてみる)

・会社に頼らずに、自分でお金を生みだる方法を考える

・将来について不安がつきまとったら「いい方向に向かう」ことに思考転換する。

・要らないものはないか、重荷になっているものを捨てる。